フエ朝王宮 ベトナム古代の時代を遡れる

ダナンから北上すること約2時間。ロマンチックなフエは、ベトナム古代の宮廷の美さで観光客を誘惑しています。中華文明を色濃く受け継いだ王宮があるだけでなく、フランスに影響された西洋風の建築物も幾つかあり、この古い都の穏やかな美しさが感じられます。

中部地方の性格の特徴としては、北と南の間をふらふらゆれている性格と思われます。「穏やか・現実主義・能動的・気概が強く」という中部に暮らす人々の国民性はもちろんですが、ハイバン峠にダナンと離れられるせいか、フエの人々の性格が少し違います。ダナンをはじめ、中部の人々が率直でかなりせっかちな性格あるかと思えば、フエの人々はもっと穏やかな性格で、静かに暮らしているのが印象的です。

フエはフオン川(香川)を挟んで、「旧市街」と「新市街」に大きく2分かれています。1993年にユネスコの世界遺産に登録されているフエの一部の歴史的建造物が旧市街側です。

下記にグエン朝王宮 ( Đại Nội)の建築特徴のご紹介です。

王宮は周囲2.5km(縦604m、横622m、高さ4m、厚さ1m)の城壁で守られています。城壁の外には濠がめぐらされ、水量は四方の水門で調節できます。王宮の上部には陶磁器やガラスの破片で装飾されており、漆喰も建物の装飾に使用されています。2つの建物を屋根で結合して1つの建物とし、広い空間を作り出す点は特徴的です。約3.6 平方キロメートルの広大な敷地内には、宮廷文化を今に伝える建築物が残っています。また、 王宮内にある閲是堂では、ユネスコの無形文化遺産に登録されているニャーニャック(宮廷雅楽)も楽しむことができます。

1802年から1945年までの143年間を渡って、ベトナム最後の王朝が置かれた王宮は、午門、太和殿、 長生宮、延寿宮、閣臨顯、世祖廟、興祖廟、など著名な100以上の建築作品を持っています。

広大な王宮の中に進めば進むほど、ベトナム歴史変遷が感じられます。

 

  • 午門(Ngọ Môn)

午門と呼ばれる王宮の正門は王宮の南に位置され、高さ約17m、幅約58mです。

1805年に、初代皇帝ザーロン帝により見張り台「南関台」が築かれました。その後、1833年に2代皇帝ミンマン帝は改築し、「午門」を名付けました。午門はコの字型で、中華の北京の紫禁城に設けられた午門をモデルにしました。「午」は南の方位という意味を持ち、南から天下に耳を傾ければ世の中は平和に治まるとの考えに由来しています。又、正午になると門の真上に太陽がのぼるとの考えもあります。

午門には複数の入口がありますが、皇帝と各国の大使専用の中央の入口は鉄の柵で閉鎖されているため、使用する事はできません。右(右夾門)が文官向け、左(左夾門)が武官向けの入口です。そのさらに、両端にある2つの入口は右闕門と左闕門で、兵士と馬、象等の為の入口です。5つの入口でも男性しか出入りを許されていなかったで、皇后でもこの門を使用することは禁止です。

午門の2階には「五鳳凰樓」があり、5つの望楼を有する五鳳楼が建てられました。新年の挨拶と科挙の合格発表の機会には、皇帝がここで表しました。ベトナム最後の皇帝パオダイ帝は、1945年8月30日にこの門に退位を告げました。

  • 太和殿(Điện Thái Hòa)

午門を潜ると、左掖池と右掖池に挟まれた道が見えはずです。池の左側に皇帝の象と馬等が飼われていた空間があり、右側には兵舎です。王宮の正面には太和殿です。ここには阮朝の政治の中心でした。縦30.5m、横44m、高さ11.8mの太和殿は1805年にザーロン帝により建てられました。1833年にミンマン帝により改修されました。午門と同様で、女性は決して立ち入るのが禁止です。

殿の内には、皇帝が座る金箔張りの椅子と台座が置かれています。80本の柱には皇帝を象徴する龍の装飾が施されています。棟の連結部分を外から見ると、吐水口に怪魚の装飾を見えます。殿の前には拝庭があり、官吏が地位の順に並びました。その位置に役職がかかれた石碑が置かれています。殿の後方には塀で囲まれた禁裏(紫禁城)が置かれています。

太和殿は、1968年に戦渦に巻き込まれて全壊しました。1970年に再建されました。

(ご注意:玉座の撮影禁止)

  • 右廡・左廡 (Hữu Vu- Tả Vu)

太和殿をぬけて向かうと、左の右廡、右の左廡が現れます。かつての右廡は武官に使用され、左廡は文官に使用されましたが、現在に右廡は王宮の生活用品の展示室、左廡は記念撮影所というスペースになっています。

  • 紫禁城(Tử Cấm Thành)

太和殿の後方には紫禁城です。

紫禁城は王宮内部の宮殿地域で、皇帝の政務と生活区画として王宮内の他の施設と分けられています。紫禁城は1804年に建設され、「宮城」と名付けましたが、1822年に改修され、「紫禁城」に変わりました。

紫禁城は主要な建物が南北方向に一直線に並びました。紫禁城の敷地には、それぞれに配列された「勤政殿 (DIEN CAN CHANH)」(皇帝が政務を実施、宴会開催の所)、「乾成殿 / (DIEN CAN THANH)」(皇帝の寝所)、「坤泰宮 / (CUNG KHON THAI)」(後宮の中心所)は1947年に失われた為、現在は回廊のみが残っています。

  • 閲是堂(Duyệt Thị Đường)

かつて皇族、又外国の大使が舞台芸術、特にユネスコ文化世界無形遺産に指定された「ニャーニャク(宮廷雅楽)」を観賞した建物です。閲是堂は1826年に建設され、ベトナム最古の劇場です。現在には、宮廷音楽と宮廷舞踏のショーが上演されています。

  • 太平樓(Thái Bình Lâu)

皇帝が作詩、読書をする書斎のような役割を持った建物です。太平樓1919年から1921年まで建てられ、3代皇帝ティエウチー帝時代の「書暇清樓(THU HA THANH LAU)」を基礎としました。

  • 四方無事樓(Lầu Tứ Phương Vô Sự)

四方無事樓は、皇太子と皇太子妃の勉強所として建てられたそうです。

1923年にフランス様式が大好きな12代皇帝カイディン帝により建立されました。現在にはカフェ店になりました。フランス様式がまだ残っているそのカフェ店の2階からTRA CUNG DINH(宮廷茶)を飲むのはお勧めです。

  • 世廟(Thế Miếu)

太和殿の西に建立されている歴代皇帝と皇后を祀った廟です。

世廟は1821年に建てられました。内部には、13間の横に長い廟の中には10人(*)の皇帝の祭壇が柱間に置かれています。祭壇には肖像と皇帝および皇后の位牌が祀られ、中央の祭壇が初代皇帝ザーロン帝、その左は2代ミンマン帝、右は3代ティエウチー帝と、左右に後の皇帝が連なる並びです。

(*)注:グエン皇帝:ザーロン帝、ミンマン帝、ティエウチ帝、トゥドゥク帝、ズクドゥク帝、ヒエプホア帝、キエンフク帝、ハムギ帝、ドンカイン帝、タインタイ帝、ズイタン帝、カイディン帝、バオダイ帝の全部13名。5代ズクドゥク帝と6代ヒエプホア帝は廃位、13代バオダイ帝は退位した為、祭壇はない。ちなみに、流刑となっていた8代ハムギ帝、10代タインタイ帝、11代ズイタン帝の祭壇は1958年から置かれた。

  • 顕臨閣(Hiển Lâm Các)

世廟の前閣にあたる三階層の建物です。

1821年に建てられた顕臨閣の左には、上層に鼓楼がある崇功門です。右には上層に鐘楼がある峻烈門です。顕臨閣の庭には、阮朝の下でベトナムが統一されたことを表す9つの鼎(1つにつき重さ約2.5t、高さ約1.5m、口径約1.4m)が置かれています(鼎は天子と象徴された)。鼎には歴代皇帝の名前とベトナム各地の四季の風景が刻まれ、中央の鼎はザーロン帝に奉げられました。

  • 興廟(Hưng Miếu)

初代皇帝ザーロン帝の父(*)を祀っている場所です。

世廟の北に位置する興廟は1804年に建てられ、「皇考廟」と呼ばれていた。改修・移建後(1821年)「興廟」になりました。1947年に焼失され、1951年に瑞輝皇太后によって再建されました。

(*)注:グエン・フック・ルアン(Nguyễn Phúc Luân):グエン王朝のルーツである広南朝の王族・第8代皇帝の武王の次男。1765年に死亡(33歳)。タイソン(西山朝)の蜂起の時、タイソンの兄弟たちに遺骨をフオン川に捨てられた(1790年)。ザーロン帝はグエン王朝成立の暁に、父の遺骨を探し、興廟を建てたこと。

  • 奉先殿(Điện Phụng Tiên)

主に阮朝の皇后を祀る廟所です。戦火により消失し、現在には基礎のみが残っています。

  • 延寿宮(Cung Diên Thọ)

皇太后(皇帝の母親)の住居所です。

延寿宮は延寿宮は1804年に建てられました。延寿宮の前に前庭があります。前庭の後方に延寿宮、西側にはフランス風の静明楼、東側には左恭があります。

現在は、延寿宮と左恭には当時の豪華な椅子・テーブルなどの調度品が置かれています。

  • 長生宮(Cung Trường Sanh)

皇太后の宮殿として使われた場所です。

長寧宮1821年に建てられ、王宮内の北西に位置します。現在はカフェ・展示スペースになったことです。

  • 太廟 (Thái Miếu)

グエン王朝のルーツ(先祖)である広南国(*)の歴代皇帝を祀る廟です。

太廟は1802年に建てられ、1947年にフランス軍との交戦によって破壊されました。現在は復元されましたが、、更なる修復が必要です。

(*)注:広南国(1558年−1777年)。広南阮氏は9代にわたって続き、西山朝(1778年-1802年)に打倒された。

  • 肇廟(Triệu Miếu)

広南朝の太祖ティエン・グエン・ホアンの父、グエン・キムを祀る場所です。1803年に建てられた肇廟は太廟の裏手に位置され、現在に太廟と同様に修復が必要です。

  • 内務府 (Phủ Nội Vụ)

皇帝の生活実務を司る役所です。1933年にパオダイ帝により建造された内務府は約2ヘクタールで、敷地内には倉庫設備、宝物や用品の製造・保管の場所もあります。

  • 幾暇園 欽分殿 (Vườn Cơ Hạ & Điện Khâm Văn)

幾暇園と欽分殿は王宮庭園のひとつです。

1837年ミンマン帝の命により建立され、ティウチー帝、トゥドゥック帝の時代に何度か修復されたことです。

フエ王宮を訪れると、午門、太和殿、 長生宮、延寿宮、閣臨顯等著名な100以上の建築作品を持っているフエ王宮の歴史の重みを感じることができます。