400年以上の古い歴史を持ち釈迦を祭ったベトナム典型的な仏教寺です。
1601年に建てられたティエンムー寺は禅寺で、煉瓦造りです。「ティエンムー」は「天姥」という意味です。「ティエンムー寺」名前の由来に関して、周辺に住む人々に「いずれ支配者がここに現れ、塔を建てることだろう」と予言したという伝説があります。その老婆は天女ではないかということから、「天女の寺」という通称を名付けました。
慈仁塔(Tháp Phước Duyên)
3代ティエウチー帝により1845年に建てられた塔です。高さ21mの八角形七層の塔は中国の影響を色濃くうけ、仏教で悟りを意味する蓮を象っています。各層に仏像が安置され、過去七仏(釈迦如来までに登場した7人の仏陀)を表します。最上部には釈迦如来像が安置されています。
六角大鐘楼・六角碑亭
慈仁塔の左には六角大鐘楼、右には六角碑亭のそれぞれがあります。鐘楼には1710年に鋳造された高さ2.5m、約2トンの大きさの鐘があり、鐘の音は遠くまで届くと言われています。碑亭には1715年につくられた石碑があります。どちらもグエンフックチュー王(*)により作られました。
(*)注:グエンフックチュー王(1675年-1725年)。広南朝6代皇帝。
大雄殿(Điện Đại Hùng)
ティエンムー寺の本堂です。大雄殿には三尊仏が置かれれました。この仏像は1815年に鋳造されたもので、タイソン朝を破り、ザーロン帝を助けたポルトガル人のジーン・デ・ラクロイスによるものと言われています。
- オースティンと不滅の心臓
1963年にサイゴン政府に仏教の弾圧を抗議し、ティエンムー寺のティック・クアン・ドック僧侶(*)によって焼身自殺した住職の車が置いてあります。また、ティック・クアン・ドックの心臓の写真パネルも展示されています。
(*)注:ティック・クアン・ドック(1897年-1963年)。ベトナムが南北に分かれていた戦争時代に、ゴ・ディン・ジェム政権がキリスト教徒が多く、仏教に対して弾圧的処置をとっていた為、ティック・クアン・ドックはその弾圧に抗議し、1963年6月11日車でサイゴンへ行った。アメリカ大使館の前にガソリンを被って、焼身供養を行った。燃え盛る炎の中で絶命まで姿勢を崩さなかった様子は国際的に衝撃を与え、ゴ・ディン・ジエムが殺害される一因となった。ティック・クアン・ドック様の体が焼け落ちても心臓は形をたもったまま残り、その不滅の精神を体現したと思われる。
川沿いに西へ走った行き止まりに位置されるティエンムー寺は、お寺の上からフォーン川を眺めると、心は非常に穏やかになります。